親父の死。

突然ですが、9月30日に親父が肺気腫による呼吸不全でこの世を去りました。
享年65歳でした。
何年も前から肺に穴が空いているという診断を受けていたのにも関わらず病院へは行かずタバコも酒も辞めなかった親父が今年の7月に呼吸が苦しいといい母親が救急車を呼び緊急搬送され肺気腫と診断され酸素吸入器を余儀なくされました。

退院してから1か月半、親父は誰もいない自宅で静かに息を引き取りました。

その日母親がパートから帰ってくると洗面所で倒れているのを発見し、すぐに救急車を呼び、私にも連絡が入り、たまたま現場が実家から近かったのですぐに実家へ行くとすでに救急隊員の方々が心臓マッサージ等をしてくれていましたが、すでに心肺停止の状態で体も冷たくなっていました。
表情を見た瞬間に『あぁ、これはもうダメだろうな』と感じました。

病院から退院した時の状態を見て以来、親父ももうそんな長くないかもなぁと感じていたので私自身は親父の死への覚悟は少し前からしてあったので慌てることもなく冷静に状況を把握し、動揺している母親や家族にも今後なにをすべきかを紙に書き出し、すぐに葬儀屋さんの手配をしました。

実は親父も塗装職人でした。
昔から内弁慶で現場でのストレスを家で発散するタイプで酒を飲んでは暴れ、家族に手を上げるような典型的な飲んだくれの最低な親父でした。
小さい時は恐怖でしかありませんでしたが、大きくなり力も付いてきた年になると私自身も親父と激しい怒鳴り合いをしていたものです。

そんな親父もいよいよ身体の自由が効かなくなり、仕事にも行けなくなってくるとどんどん弱々しく身体は細くなっていきました。

私には兄と姉がいるのですが、姉と私は結婚をし、家を出ましたが兄は同居しています。
母親と兄には病弱になってからも言うことを聞かず反抗していたようですが、私がたまに実家に寄り様子を見つつ声を掛けると普通に会話してくれました。

退院してから、1度家で熱中症になりそこから認知症のような症状もあるということでたまたま現在の現場が実家から近かったので仕事の合間をぬって親父の様子を見に行ってバテてても食べやすいものや親父が好きな食べ物と飲み物を差し入れしに行ったりもしました。

その翌月親父は誰もいない家で静かに息を引き取りました。

親父が私に残した最期の言葉は差し入れを持っていって帰る際に言った『ありがとなぁ』の言葉でした。
あれだけぶつかり合って喧嘩し合ってきた親父と最期それだけの会話がし合えるまでの間柄になれて良かったなぁと感じています。
亡くなってから後悔を残したくなかったので恥ずかしさもありましたが僅かな時間を親父と素直に接することが出来て良かったです。

亡くなった年齢としては65歳とまだ若いかもしれませんが、親父の性格上あそこまで弱ってまで人に世話をされて長生きする方が嫌だったと思うので、散々真正面からぶつかってきた私としては、これで親父も本当に楽になったんじゃないかと思っています。

酸素吸入の器具も付けろと言われても母親と兄に反抗し付けなかった親父は自らの最期を自らのタイミングで決めたような気がします。

親父の葬式に関しては生前、人付き合いが苦手で深い付き合いの人も少なかったのとコロナの影響等を考え、身内だけで火葬のみ静かに執り行いました。
親父が亡くなってから4日後の昨日の日曜日無事火葬も終わり、一段落しましたのでブログを更新させて頂きました。
まだまだやることはありますがゆっくり少しずつ片付けていきたいと思います。

ここ最近ブログもSNS等も全て停止し、仕事と親父のことだけにしていましたがこれからまた仕事のブログの方もSNSの方も更新していきます。

改めてよろしくお願い申し上げます。

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